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比較日本人論 その3

極めつけはこれでしょう。
これは「天声人語」ではありません。

 豪華客船が暗夜に難破し、ほうり出された乗客がたったひとつの救命ボートに群がった。全員がのるとボートはしずんでしまう。それで女性とこどもだけが残り、男は海に漂うことになった。それをアメリカ人、イギリス人、ドイツ人、イタリア人、そして日本人の男たちにどう納得させるか。
 正解は、【 1 】人には、紳士なら飛び込むといえばよい。
     【 2 】人には船長の命令と。
     【 3 】人は飛び込むなといったら、逆に飛び込んだ。
     【 4 】人に、おまえたちには保険がかかっている。
 そして 【 5 】人には他の人はみんな飛び込んでいる、だとか。
(920202朝日新聞「ティータイム」霍見芳浩「日本企業の悲劇」)続きを読む

Posted by mrgoodnews at 23:35 |Comments(0) |TrackBack(0) | 教育・学校・授業 , 気づき、発見、インスピレーション
比較日本人論 その2
こういう比較はヨーロッパのひとがうまいですね。
私がキリスト教の国際会議に参加したとき、夜の余興として各国代表たちがいろいろな芸を見せてくれたときに、こういう比較をよくしていました。
「これをイギリス人がしたら」「これを日本人がすると」「アメリカ人ならこうするだろう」というのをそれぞれ演じるのです。
うまくそれができると拍手喝采です。

 青いシマ馬を見つけたものに100万ドルだそうというアメリカの金持ちがいた。
 日本人、フランス人、スペイン人、ドイツ人、イギリス人りビジネスマンがそれに応じた。
【 1 】人は図書館にかけ込んで、遺伝学の本を読みあさった。
【 2 】人はアフリカの地図を買った。
【 3 】人は、ロバに青いペンキを塗った。
【 4 】人は丹念に一本一本ロバに青い毛を植えた。
【 5 】人は、100万ドルときいただけでうれしくなって、盛大に前祝いをやったという。

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「この子らは世の光なり」

伊藤隆二著「この子らは世の光なり」(樹心社刊 1988年)のあとがきに次のようなことが出ていた。

「しょうがいじ」がどのように世の中に位置づけられてきたかをみると、すくなくても4つの時代区分ができる。
 第1は「虐待の時代」この子らは「この世から追い出されるもの(イディオシー)」として「親子心中」や「子殺し」となって表れる。
 第2は「保護の時代」この子らは「遺棄するには忍びない」として食べ物や医療を与えるが、屋敷牢や座敷牢に閉じこめた。
 第3は「この子らに世の光を」の時代である。慈善の心から「この子らに愛の手を」と訴え、浄財によって保護の場を作ってそこに収容した。
 第4は「この子らを世の光に」これは「思想の革命」であるという。戦後最初の公立福祉施設「近江学園」をつくった糸賀一雄氏によって提唱された。
「この子らに世の光を」と「この子らを世の光に」とでは、単に助詞をいれかえただけなのに「本質的な違いがある」という。

 ところが伊藤隆二氏はこの表現でも満足しない。「この子らを世の光に」という言い方は、まだこの子らが「世の光である」ことを認めていない、そこで教育し、鍛え、磨きをかけてやっと「世の光」になると言うみかたである。この子らは主体ではなく、客体である。
 かれは「この子らは生まれながらにして世の光であり」「そのままで世の光である」という。だから「わたしたちこそが、この子らから教えられ、この子らに導かれなければならない」という意味で、「この子らは世の光なり」という表現が正しいという。
 「この世に光りを送り、何もかも明るく照らし、やすらぎとぬくもりと夢と希望を与えてくれるのはこの子らである。」という。

 前にも述べたことがあるが、イエスは山上の説教で「あなたがたは世の光、地の塩である」といわれた。これは「あなたがたは世の光、地の塩になりなさい」というのではない。「あなたがたは(そのままで)世の光、地の塩なのである」
 なにも「世の光」なのは「しょうがいじ」だけではない。私たちひとりひとりが(例外なく)みずから光を発する世の光なのである。
 これはすごいことだと思った。


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「アウシュビッツと現代」

「アウシュビッツと現代」という高3「倫理」の授業から
 しばらく高3は担当していないが、私が高3の「倫理」を担当したときの授業の流れを紹介してみよう。テーマは「アウシュビッツと現代」。

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